ドライブ旅行4日目は、シシリーといえば「ゴッドファーザー」。マフィア発祥の地コルリオーネの街を訪ねました。その夜の宿泊はシシリー島の名物となっているマヨリカ焼を広めたカルタジローネの街。その街も世界遺産の建物があります。
その中でいひときわ目立ったのがこの「おっぱいケーキ」!そう、ここSambucaの街の名物です。地元の貴族が結婚した時に教会の尼さん達がお祝いに作った「バージンブレスト(処女の乳房)」ケーキが始まり出そうです。試しに1個買ってみた!
この街に来たのは、ここに「ゴッドファーザーズハウス」という博物館があるからです。主人がとっても楽しみにしていました。シシリーといえば、やはりマフィア!ですもんね。街の中心地に近い場所に駐車できる場所を発見。シシリー島ではもうかなりな数の街を訪問してきて、特に内陸の街だとだいたいどの街も作りが同じなんですね。だからどのあたりなら路駐しやすいかっていうのが、なんとなくわかるようになってきました。
ここは、使用人が住んでいた家。このスペースに使用人一家全員(だいたい最低6人ぐらい。子だくさんだったらしいので)と家畜の馬も一緒に生活していたそうです。
こんな風にロフトがある使用人の家は大きい方で、普通の地域の住民はもっと小さな家で家族10人ぐらいでも住んでいたとのこと。
住民たちの生活ぶりを示した写真。この家を買った時、ネガの状態で発見したそうで、それをデジタル化して印刷したそうです。この地でマフィアが発生したのは、とても貧しい地ですごい貧乏人と元からのお金持ち(貴族など)と二極化していたそうです。で、お金持ちは働きたくないので、貧乏人をさらに働かせて沢山搾取するために暴力による脅しを使ってはたかせていたそうです。そこから暴力で脅して上前を撥ねるというメンタリティーが育ち、それが後にマフィアとなっていったそうです。説明の中に前日間違って止まったSambucaの街の名前も出てきました。Sambuca出身のマフィアもいたそうで、なんと知らず知らずのうちにマフィア繋がりの場所を訪れていたのです。
隣の部屋は穀物保管所でした。で、ここでとても奇妙なことが起こったんですよ。この部屋でマフィアの一員になるための儀式の説明を受けていた時です。
サルバトーレさんが「マフィアの一員になるためには、まず手をナイフで傷つけて血を出します。その血をこのカードの上に垂らすんですよ。」と話してくれた瞬間、なんと主人の指に血が滴っていることに気が付いたのです!!!それも結構流れていて、指が真っ赤でした。
慌てて明るい場所に行って、手を洗いました。サルバトーレさんがバンドエイドを持ってきてくれました。洗った後で良くみてみたら手の甲にあったかさぶたがはがれていて、そこから出血していんです。かさぶたになっているぐらいだから、ひっかき傷があったことも忘れていたのですが、それが行き成り、何もしていないのに剥がれて出血したんですよね。しかもタイミング良すぎ!まるでマフィアのボスの霊が主人を招いているような感じで、私も主人もちょっと気持ち悪かったです。思えば、ここまでの日々、何かとマフィアに関連した場所に知らず知らずに行っていました。まず一日目のPiazza Amerinia。初めてマフィアに対して真剣に立ち向かい、そのため暗殺されたボリスさんが生まれた町で、偶然その家の前を通りかかりました。第2日目パレルモに急に行くことにしたら、偶然にもアンチ・マフィアの展示場を見つけ、マフィアの衰退までの歴史を学びました。しかもほとんどのマフィアの抗争はパレルモ市内で発生していたのも初めて知りました。そして第3日目間違って宿をとったSambucaの街からも沢山のマフィアが誕生していたこと。そしてついに最終日に大元のコルリオーネの街にやってきたわけです。知らず知らずのうちにこのシシリードライブ旅行はマフィアの軌跡を追う旅になっておりました。そう考えると、なんだかマフィアの霊に取りつかれているんじゃないかと心配になってきたぐらい。
出血はすぐに止まり、見学を続けました。
ここは穀物倉庫兼事務所。
穀物をはかりに載せて計測します。すりきり一杯が目安なのですが、欲張りな主人はもっとくれ、ということですりきり一杯になった上にさらに盛り上がるように穀物を乗せることを要求。盛り上がって三角になっている部分の事をピッツォというそうで、後にこの言葉が隠語での「税金」とか、暴力から逃れるための謝礼金を意味するようになったそうです。
その隣には室内井戸がありました。敷地内に、しかも室内に井戸があるなんてかなりなお金持ちだった証拠だそうです。
その後、正面玄関の廊下に戻りました。壁には沢山の馬具。
大扉に小さいドアがついてるのは、入る人をかがませるためだそうです。つまり頭を垂れてこの家の主人に敬意を示せ、ということだそうです。
階段を上がっていくと上階がご主人さま一家の住居。
テラスに出ました。今はそこをカフェにしているそうです。
ここはカフェ用のキッチン。
奥に当時のキッチンがありました
壁が美しい陶器のタイルで埋め尽くされています。シシリー島に来てからあちこちで、美しい陶器のタイルや置物をみました。シシリー島名物だそうです。
ちゃんと今でも使える薪ストーブクッカー。それも4台もあるのは裕福な証拠だそうです。
ピザ窯も!
その後、ご主人さま一家の住居を見学です。まずは書斎というか入り口。
この家に住んでいた家族の何代目かの主人の写真。当時の貴族は近親結婚もよくあったので、子孫に遺伝子異常が発生することがよくあったそうです。そのため幼くしてなくなる子供たちも珍しくなかったとか。
奥の部屋はビリヤードが置いてありました。当時もここがエンターテーメントの部屋だったのでしょう。
床のモザイクもタイルが素晴らしい。
その隣が寝室でした。
ここにも天井に素晴らしい絵が描かれていました。
面白いのはベッドの頭上に隠し穴があること。
その奥がご主人さまの仕事部屋。
でっかい机には映画のゴッドファーザーを思い起こさせる小道具があり、それを使って写真を撮りました。
マフィアのボスになった気分?
壁も天井も家具なども、できるだけ当時のままにしてあるそうです。レコードもあって、蓄音機もありました。
これは当時の住人の直筆の手紙。コルリオーネって書いてある。映画のゴッドファーザーではマフィアのファミリーの苗字がコルリオーネでしたが、実際はそれは街の名前でこの苗字のマフィアがいたわけではないそうです。
シャンデリアも当時のものだそうです。天井の絵がこの部屋はひときわ豪華。
その後、さらに上の階に行きました。ここには独立したキッチンがあり、いわゆる二世帯住宅だったそう。
この街を象徴する二つの丘が両方窓から見えます。
1つの丘の上には十字架がたっていました。
この家の住人は新聞をよく読んでいて、世界中のニュースを集めていたそうです。その中にオーストラリアはシドニーのエキスポの記事もありました。この建物おそらく、今残っているクィーン・ビクトリア・ビルディングと思われます。
そして室内にトイレがあるのも当時の住居としては特別で、裕福だった証拠だそうです。水洗トイレはなかったので、これ重力で垂れ流しでしょうね。
さらにこの階にはお祈りの部屋も。貧しい人々を搾取したり、暴力をふるったり、殺人も犯していたわりには、マフィアは敬虔なクリスチャンなんですよね。かなり矛盾にしていますが、当時は教会組織自体がマフィアの活動を擁護していたというか、癒着もあったので当然と言えば当然。
壁に飾ってあるこの用紙、スタンプと言われてましたが、これを教会から発行してもらえば神のご加護を受けられるので、ある意味何してもOKという免罪符だったみたい。
その後、階下にもどりました。この部屋も沢山の十字架で埋まっていますが、これは現在のオーナー、サルバトーレさんのアイディア。
歴代のマフィアの名前がかかっていました。
アメリカに渡ったマフィアとのつながりを示す、自由の女神像。シシリーからの移民した人たちはマフィアに搾取されることに慣れているので、移民先のアメリカでもマフィアは同じような活動を続けることができたそうです。
この人はつい最近亡くなったみたい。2017年没。刑務所で亡くなったそうです。
ロブはこの日私の甥っ子にもらったTシャツを着ていました。
さらに地下に進みます。
ここは小さな監獄が設置されていました。これもサルバトーレさんの演出です。
壁には何やら拷問の器具?
1時間みっちり説明してもらい、その語り口調からサルバトーレさんがいかに熱意をもって、この展示をしているかがよく伝わってきました。サルバトーレさん曰く、今でも水面下でマフィアの活動はあり、今は政治家と繋がっている、と言われていました。
ゴッドファーザーの家を満喫して、この日のお宿をとったカルタジローネに向かいます。カルタジローネまではかなり距離があり、3時間ちょっとの長いドライブですが、シシリーに来た一番の楽しみだったマフィアの話を堪能した主人は長旅も苦にならないようでした。
やっとカルタジローネに着いたのは午後4時ちょっと過ぎ。
「カルタジローネは、イタリア共和国シチリア州カターニア県にある、人口約3万8000人の基礎自治体。 陶器の生産地として昔から知られており、マヨリカ焼きやテラコッタ陶器が有名である。 ウィキペディア引用」
これまであちこちで目にしてきた陶器は、ここカルタジローネがスタートだったんですよね。通り沿いの塀の上にも陶器で作られた飾りがついていました。
本日のお宿もエアB&Bdでカルタジローネのど真ん中にありました。それでいてお値段は一泊50ユーロ。二人分の値段なので本当に安いです。
バスルームも新しくしていい感じ。
お宿の前の小道を出てものの数分でこの大聖堂のある広場に出ます。
さすが陶器の街。街の案内地図も陶器でできていた。この街にも世界遺産があるんですよね。
この男女の頭の形の置物は植木などのポットになっていたりするんですが、それにはちょっと恐ろしい曰くがあります。女性の方が裏切った男性の首をカットして、それを植木鉢として使ったことから由来しているんですよね。
大聖堂の向かい側にカフェらしきものがあったので、入ると中は広いホールになっていました。しかもバルコニーも柱にも陶器の飾りが一面に!
陶器の博物館があるって聞いた気がするから、それかな?
見て、これ陶器の自転車!こんなの飾ってあった。
その後、レストランを探してぶらぶら。
カルタジローネの庁舎ですが、その建物が世界遺産になっていました。
今でも使っているみたいです。
すごいのはこの階段、柱、床、全て大理石です。
カルタジローネはシシリーだけじゃなくイタリア中にマヨルカ焼きを広めたそうです。この陶器の階段は有名。階段の踏み石はエトナ山の溶岩で作られているそうです。
100以上の段数があるので、上まで登る気になれませんでした。
その後、レストランを探してまたぶらぶら。
毎日外食って結構飽きるんですよね。主人は簡単にトマトソースのパスタでいいって言っていて、私は野菜料理が食べたかった。意外にシンプルな料理ってメニューにないもんです。でも何軒か回っているうちにこのお店を発見。
大当たり。トマトソースとナスのシンプルなフェットチーネ。
シシリー島伝統的な前菜盛り合わせは、焼き野菜が満載で大満足でした。こぶりなスピナッチパイも一切れ着いていたしポテトのチーズ焼きもあってこれが食べたかったのよ!っていう感じ。
一日に5時間近くも運転していた主人はかなりお疲れで、食後はデザートもなしですぐにお宿に戻りました。
最近目につく、自販機のカフェ。
スナック菓子やソフトドリンクもありますがコーヒーの自販機もよくみます。日本のコーヒー自販機(缶コーヒーではないやつ。)は結構性能高いみたいですが、イタリアにあるぐらいだからきっとある程度美味しいコーヒーを出すんでしょうね。私はコーヒーを飲まないのでわかりませんが、一度主人に試し貰いたい。
4月16日(火):楽しかったシシリー島ドライブ旅行も終了です。SATOMI号を置いているMarzamemiに帰ります。この日は小雨が降っていたので、徒歩でカフェに行かず、テイクアウトして先を急ぐことにしました。
というのは、帰り道にシラク―サによる用事があるんです。この先マルタに行きたいのですがMarzamemのシップシャンドラーにはマルタのカーティシーフラッグが売ってなかったので、シラク―サのシップシャンドラーで買う事にしました。お店が午後1時までしか営業していないので急がなきゃ。シラク―サまでは車で1時間はかかります。
途中道を迷ったので1時間半ちょっとかかってしまいました。シラク―サの街の中は駐車場を見つけるのは至難のわざ。そこで私だけがお店の前で降りて旗を買うことに。丁度いいことにお店の手間の角に一時駐車できたのと雨も小降りになっていたので、ささっと私が買いに出かけました。その間も主人は車内で待機。20㎝x15㎝程度の小さいサイズが15ユーロもしてびっくり!
その後、マックカフェを見つけたのでランチ。イタリアで初めてのマック体験です。セットはなくて、全て単品でした。普通のチーズバーガー二つにスモールのアイスティー、それにスモールのフレンチフライだけで10ユーロぐらいでした。日本円にしたら1000円を軽く超えているので、かなり高い気がする。バーガーも一回り小さい気がした。
Marzamemiに近づくころにはお天気が回復してきました。
SATOMI号に戻ったのは午後2時半ぐらい。遊び疲れてたので、それからぐったり。ディナーは外食疲れしていたんで、自分で作りたくなっていて、豚と野菜炒めにギリシャで買っていた中華ソースを混ぜてチャイニーズにしました。
4泊5日でSATOMI号を離れていたのですが、マルタに行くにはまだまだ強風が続くのでまだ数日はMarzamemiに滞在することになりそうです。でもシシリー島を思いっきり満喫した満足感があるので、思い残すことはないです。
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